打越氏(内越氏)は、清和天皇及び物部氏族熊野国造系和田氏を源流とし、南北朝の動乱を契機として、河内(甲斐)源氏流小笠原氏(本姓源氏)と楠木正成の弟又は従弟・楠木正家(本姓橘氏)とが姻戚関係を結んで発祥した氏族であり、戦国時代、小田原征伐、関ケ原の戦いなどを契機として出羽国由利郡で勢力を伸ばし、1系統17流(本家3流、分家14流)の系流に分かれながら日本全国へ進出して行った同祖同根の氏族です。現代に残る限られた古文書等から、その歴史的な事跡を明らかにします。

あとがき

  打越氏(内越氏)の家譜を調査することは生涯に一度は取り組みたいと考えていた人生のミッションであり、死の床にあって後悔しないだけのことは尽くしておきたいという気持ちで取り組んできました。しかし、打越氏(内越氏)のようなマイナーな氏族に関する古文書等はごく僅か断片的にしか残されておらず、調査するほど「良く分からない」ということが分かってくるだけで、歴史ロマンを逞しくしなければ家譜と呼べるようなものをまとめることは至難であり、ましてや専門家の批判に耐えるような完成度の高いものを執筆することは望むべくもありません。だからこそ、打越氏(内越氏)に関する古文書や歴史的な事跡などが散逸し歴史の闇に葬られてしまう前に可能な限りこのWEBにまとめると共に、このWEBの内容を書籍にして国立国会図書館、打越氏(内越氏)と所縁のある地方自治体や大学の図書館等に献本することで、打越氏(内越氏)の事績を半永久的に保存し、顕彰したいと考えています。
 今後も、時間と気力が許す限り打越氏(内越氏)の家譜に関する調査を続けて行くつもりですが、著者一人の力では歴史の真実に迫ることが困難な問題も多く、また、調査の過程やそれに基づく推論等に致命的な誤りが含まれていることも十分に考えられますので、可能な限り出典根拠を示して批判可能性を担保し、後日の検証が容易となるように努めました。打越氏(内越氏)の祖先に関する情報は未だ人知れず埋もれている手応えもありますので、将来、このWEBが打越氏(内越氏)の家譜に興味を持ち調査してみたいと考えた打越氏の末裔や好事家の皆様の多少の手掛り(但し、諸兄姉に誤った先入観を与えてミスリードを誘発するものではなく、賢明な諸兄姉による歴史の真実に迫る批判的な態度に基づく検証の叩き台となり得るもの)になれば、著者にとって望外の喜びです。
 日本人は祖先信仰等を通じて社会のモラルシステムを構築してきましたが、今回、打越氏(内越氏)の家譜を調査してみて、打越氏(内越氏)の祖先がそれぞれの時代にそれぞれの立場で歴史の大きな事件に関係し、その荒波に揉まれながら幾多の困難を乗り越えて営々と受け継がれてきた血脈の上に自分が存在していることの重みを痛感すると共に、打越氏(内越氏)の祖先がそれぞれの人生の転換点で信念を貫いて誇り高く生き抜いてきたその生き様に触れるにつけて、果たして、自分はそれらの祖先に恥じない生き方ができているのだろうかと背筋を正される思いがします。今回の調査で打越氏(内越氏)の末裔の皆様が熊野川舟下りの船頭、力士、空手家、ボクサー、プロ野球選手、陸上選手、サッカー選手、演出家、女優、モデル、歌手、ダンサー、アナウンサー、声楽家、指揮者、三味線職人、陶芸家、書道家、作家、蒐書家、競艇選手、競走馬の調教師、大学教授、教師、研究者、神職、政治家、医師、看護師、農家、自営業者、実業家など実に多方面で活躍されている姿に接することができました。高齢化社会とそれに伴う人口減少を迎えて衰退して行く氏族が多いなかで、今後も打越氏(内越氏)の誇り高い血脈が絶えることなくその子孫が益々繁栄するように打越氏(内越氏)の若い世代の活躍に期待したいですし、陰ながらエールを送りたいという思いを強くしています。
 最後に、全ての打越氏(内越氏)の祖先を偲び、その事績を讃えるためにこのWEBを公開し、打越氏(内越氏)の祖先及びその末裔の皆様に対して心からの感謝と敬意を込めてこのWEBを捧げます。なお、このWEBは、電子書籍BOOK☆WALKERGoogle Play ブックス)でも頒布しておりますので、ご利用下さい。
 

2018年10月2日

後醍醐天皇即位700年、北畠顕家生誕700年、明治維新150年、そして小職生誕50年を記念して

打越 武志(楠木同族会会員

 
【補遺】このWEBは、小職が個人的な歴史認識に基づいて執筆したものであり、その全部又は一部が楠木同族会としての見解を示すものではなく、楠木同族会とは一切の関係がないことをお断りさせて頂きます。