打越氏(内越氏)は、清和天皇及び物部氏族熊野国造系和田氏を源流とし、南北朝の動乱を契機として、河内(甲斐)源氏流小笠原氏(本姓源氏)と楠木正成の弟又は従弟・楠木正家(本姓橘氏)とが姻戚関係を結んで発祥した氏族であり、戦国時代、小田原征伐、関ケ原の戦いなどを契機として出羽国由利郡で勢力を伸ばし、1系統17流(本家3流、分家14流)の系流に分かれながら日本全国へ進出して行った同祖同根の氏族です。現代に残る限られた古文書等から、その歴史的な事跡を明らかにします。

2018-10-02から1日間の記事一覧

歴史絵巻 打越家伝 ~目次~

楠木正成公の銅像(皇居外苑)1889年(明治22年)、住友財閥は岡倉天心が校長を務めていた東京美術学校(現在の東京藝術大学)に楠木正成公の銅像の製作を依頼し、当時、同校の教員であった高村光雲ら複数の教員が共同で制作して天皇陛下へ献上したも…

はじめに

古から「人は氏より育ち」と言いますが、そうは言っても、自分の出自(氏族の歴史)に関心を抱かない人は少ないと思います。日本では平安時代に遣唐使が下火になると中国から渡来した「漢字」(真名)とは別に、より平易な「仮名」が誕生して日本独自の文化…

第1部第1巻 打越(内越)氏の発祥(第1段)

第1段 総論 ①打越氏(内越氏)の発祥地 打越氏(内越氏)は、いくつかの参考文献(注2-1)から、1系統17流(本家3流、分家14流)の存在を確認できます(注1)。その源流を紐解けば、清和天皇及び物部氏族熊野国造系和田氏を祖とし(参2)、主に、…

第1部第1巻 打越(内越)氏の発祥(第2段)

第2段 出羽国由利郡内越村発祥 第1節 小笠原氏・於曾氏の出羽国由利郡への下向 ①小笠原氏の下向(1回目) 1213年(建暦3年)、鎌倉幕府執権の北条義時は、源頼家(第2代将軍)及び源実朝(第3代将軍)の養育係を務めた小笠原長清の妹・大弐局に対…

第1部第1巻 打越(内越)氏の発祥(第3段)

第3段 紀伊国海部郡宇須村字打越発祥 打越氏(内越氏)は、物部氏族熊野国造系和田氏を源流の1つとしますが(参2)、和田氏は、代々、熊野本宮大社の神職を務め、その後裔は紀伊国及び河内国へ分布して河内和田氏(楠木氏の同族)の祖であると言われてい…

第1部第1巻 打越(内越)氏の発祥(第4段)

第4段 紀伊国牟婁郡下川下村字打越発祥 1585年(天正13年)、豊臣秀吉は、第二次紀州征伐で紀州武田氏流・湯川直春によるゲリラ戦に苦戦を強いられ、本領安堵を条件として湯川直春と和睦します。しかし、湯川直春は、大和郡山城主・豊臣秀長と面会し…

第1部第2巻 打越(内越)氏の系流(第1段)

第1段 総論 ①楠木正家後裔/甲斐源氏小笠原氏流 打越氏(内越氏)は、由利十二頭として出羽国由利郡内越村等(芋川及び赤川の流域等)を支配しますが、1450年頃から家督を相続できない庶流が浪人して他家へ仕官したことに加え、家督争いによる御家断絶…

第1部第2巻 打越(内越)氏の系流(第2段)

第2段 楠木正家後裔/甲斐源氏小笠原氏流 ①由利十二頭(本家Ⅰ、分家Ⅰ) 打越氏(内越氏)の事実上の発祥は、楠木正家(注24-1)が出羽国仙北郡打越郷(現、大沢郷寺)に打越城(白坂館)を築いて(参10、11、64)、1350年頃に楠木正家の子・…

第1部第2巻 打越(内越)氏の系流(第3段)

第3段 雑賀衆 ①雑賀衆(本家Ⅱ、分家Ⅴ、分家Ⅵ) 1535年(天文4年)、紀伊国五荘郷(雑賀荘、中郷、南郷、十ケ郷、社家郷の約7万石)を支配した地侍で構成される集団(伊賀国や加賀国と同様に主家を持たずに共和自治を行う惣国的な集団)として「雑賀衆…

第1部第2巻 打越(内越)氏の系流(第4段)

第4段 甲斐源氏武田氏流 ①甲斐源氏武田氏流湯川氏の庶流 1585年(天正13年)、第二次紀州征伐で湯川直春は本領安堵を条件として豊臣秀吉と和睦し、大和郡山城主・豊臣秀長と面会した直後に急死します(豊臣秀吉による毒殺説)。このような状況を受け…

第1部第3巻 打越(内越)氏の家紋(第1段)

第1段 総論 家紋は、鎌倉時代から武家が戦場で敵味方を識別し、武勇をアピールする目的で使用し始めた旗標のこと(即ち、現代風に言えば、登録商標のようなもの)で、他家の家紋を勝手に使用することは許されず、それが原因で争いになった例もあります。ま…

第1部第3巻 打越(内越)氏の家紋(第2段)

第2段 主要な家紋の由緒(楠木正家後裔/甲斐源氏小笠原氏流) ①本紋(三階菱紋、松皮菱紋、王子紋、菊水紋):本家Ⅰ、分家Ⅰ 甲斐源氏は伝統的に「菱紋」を家紋として使用し、甲斐源氏小笠原氏流・打越氏(内越氏)は「松皮菱紋」「三階菱紋」「王子紋」を…

第1部第3巻 打越(内越)氏の家紋(第3段)

第3段 主要な家紋の由緒(雑賀衆) ①本紋(橘紋):本家Ⅱ 打越氏(内越氏)の源流の1つである物部氏族熊野国造系和田氏は橘氏と姻戚関係を重ね、「橘紋」を本紋としますが、紀州藩士・打越安左衛門(本家Ⅱ)が紀州藩へ提出した家系図にも、雑賀衆・打越藤…

第1部第3巻 打越(内越)氏の家紋(第4段)

第4段 主要な家紋の由緒(甲斐源氏武田氏流) ①本紋(割菱紋):本家Ⅲ 紀州藩が編纂した「紀州各郡地士姓名」(参61)には、紀伊国牟婁郡和田村の地士として打越忠蔵の名前が記されていますが、打越忠蔵は清和源氏武田氏流・湯川直春の第四子で第二次紀州…

第2部第1巻 打越(内越)氏の歴史(略年表)

第1段 総論 打越氏(内越氏)は、マイナーな氏族なので古文書等が断片的にしか残されておらず、打越氏(内越氏)の歴史を大河ドラマのような一筆書きの物語にまとめることは困難です。また、無理に物語仕立てにまとめようとすれば大幅な推測を交えて作成し…

第2部第2巻 打越(内越)氏の合戦(第1段)

第1段 総論 打越氏(内越氏)の各系流は、「南北朝の動乱」「石山本願寺合戦」「小田原攻め」「関ケ原の戦い(慶長出羽合戦)」「大阪の陣」「元治甲子の変」など時代のターニングポイントとなる大きな合戦に参加していますが、その代表的な合戦の概要を簡…

第2部第2巻 打越(内越)氏の合戦(第2段)

第2段 打越氏(本家Ⅰ・分家Ⅰ)の合戦 ①元弘の乱 1331年(元弘元年)6月、後醍醐天皇は鎌倉幕府に倒幕計画が発覚したことを契機として、山城国の笠置山で挙兵し、これに呼応して後醍醐天皇の皇子・護良親王が大和国の吉野山、楠木正成が河内国の下赤坂…

第2部第2巻 打越(内越)氏の合戦(第3段)

第3段 打越氏(分家Ⅱ)の合戦 ①神生の乱 江戸重道の重臣・江戸道澄と神生右衛門は徳政令の実施を巡って対立し、江戸道澄が江戸重道を頼ってきたので、その子・江戸道升を援軍に差し向けたところ神生右衛門の返り討ちに合います。しかし、神生右衛門も常陸江…

第2部第2巻 打越(内越)氏の合戦(第4段)

第4段 打越氏(分家Ⅲ・分家Ⅳ)の合戦 ①シャクシャインの戦い 松前藩は、アイヌ民族との交易を独占していましたが、アイヌ民族に不利な交易条件を強いていたことから、アイヌ民族が幾度となく蜂起を繰り返します。そのような状況のなか、1668年(寛文8…

第2部第2巻 打越(内越)氏の合戦(第5段)

第5段 打越氏(本家Ⅱ・本家Ⅲ)の合戦 ①安宅一乱 安宅実俊は那智山別当家の娘を正室に迎えて紀伊水道の制海権を握る一大水軍を率いて隆盛を極めますが、1526年(大永6年)、安宅実俊が病没し、その子・安宅安定が15歳になるまでの間はその弟・安宅定…

第3部第1巻 打越瀬左衛門の日記(1689年)

【現代語訳(意訳)】 元禄2年(1689年己巳)1月27日 一日中、小雨が降っている。丸山重平から助三郎という者が書き写した江戸但馬守重通の書状を出版する予定だが、その所持者として水戸藩士、打越瀬左衛門の名前を併記したいと考えているが可能か…

第3部第2巻 打越専三郎の日記(1863年)

2018年は明治維新150年目の節目にあたりますが、打越専三郎の書留には幕末勤王の志士達に影響を与えて明治維新の原動力となった水戸学の思想や時代の空気感が比喩的に語られており興味尽きせぬものがあります。 【現代語訳(意訳)】 ▽「忠義」に関す…

第4部第1巻 甲斐源氏にゆかりの場所(前史)

①清和天皇陵(京都府京都市右京区嵯峨水尾北垣内町11)②清和天皇社(京都府京都市右京区嵯峨水尾宮ノ脇町58)③六孫王神社(京都府京都市南区八条町509) ①清和天皇稜/第56代・清和天皇の第6皇子の子が臣籍降下して源氏を称します。 ②清和天皇社/…

第4部第2巻 楠木氏にゆかりの場所(第1段)

①楠木正成生誕地(大阪府南河内郡千早赤阪村水分266)②楠(楠木)氏発祥の地(静岡県静岡市清水区楠) ①楠公生誕地/楠木氏の屋敷跡で、この地で楠木正成が生まれました。なお、楠公出世地の裏手(下赤坂常の眼下)に建武以降の楠木邸伝説地があります。 …

第4部第2巻 行宮・南朝忠臣にゆかりの場所(第2段)

第2段 行宮・南朝忠臣・楠木八臣にゆかりの場所 打越氏のようなマイナーの氏族に関する古文書等の記録(ジグソーパズルのピース)は僅かしか残されておらず、打越氏の事績を紐解くにあたっては時代全体の相関関係(ジグソーパズルの全体図)を俯瞰しながら…

第4部第3巻 打越(内越)氏にゆかりの場所(第1段)

第1段 打越氏(本家Ⅰ、分家Ⅰ~Ⅸ、その他)にゆかりの場所 第1節 打越氏(本家Ⅰ、分家Ⅰ)にゆかりの場所 金沢柵(秋田県横手市金沢中野(字)金洗沢) 本丸跡/1336年(延元元年)に瓜連城の戦いに敗れて奥州へ落ち延びた楠木正家が再起を図るために籠…

第4部第3巻 打越(内越)氏にゆかりの場所(第2段)

第2段 打越氏(本家Ⅱ・Ⅲ、分家Ⅻ・XⅢ)ゆかりの場所 第1節 打越氏(本家Ⅱ)にゆかりの場所 ①真光寺(和歌山県和歌山市打越町1−38)②千光寺(和歌山県田辺市上秋津4514) ①真光寺/浄土真宗本願寺派。楠木正成の子、楠木正行と共に四条畷の戦いで討死…

第4部第3巻 打越(内越)氏にゆかりの場所(第3段)

第3段 その他(打越(内越)氏の墓碑等) 打越氏が集中的に分布している以下の地域を中心として、打越氏の墓碑(家紋)を調査(墓参り)しています。 東国における南朝勢力の拠点:茨城県(1位) 中央における南朝勢力の拠点:兵庫県(2位)大阪府(4位…

あとがき

打越氏(内越氏)の家譜を調査することは生涯に一度は取り組みたいと考えていた人生のミッションであり、死の床にあって後悔しないだけのことは尽くしておきたいという気持ちで取り組んできました。しかし、打越氏(内越氏)のようなマイナーな氏族に関する…

巻末 家系図

図表7:小笠原氏流打越氏(内越氏)本家Ⅰの家系図 付録 図表7-① 付録 図表7-② 付録 図表7-③ 付録 図表7-④ 図表8:於曾氏流打越氏(内越氏)本家Ⅰの家系図 付録 図表8 図表9:楠木氏流打越氏(内越氏)分家Ⅰの家系図 付録 図表9-① 付録 図表9…