第4段 主要な家紋の由緒(甲斐源氏武田氏流)
①本紋(割菱紋):本家Ⅲ
紀州藩が編纂した「紀州各郡地士姓名」(参61)には、紀伊国牟婁郡和田村の地士として打越忠蔵の名前が記されていますが、打越忠蔵は清和源氏武田氏流・湯川直春の第四子で第二次紀州征伐の後に入道して打越氏を名乗ります(参53)。なお、湯川氏の本紋は「割菱紋」になります(本家Ⅲ)。紀伊国牟婁郡和田村は楠木氏と同族の河内和田氏の祖・物部氏族熊野国造系和田氏の領地であった場所で、打越忠蔵が開基した梵光寺には打越氏の墓と共に和田氏の墓もあります。
なお、1562年(永禄5年)、湯川直春は、教興寺の戦いで雑賀衆及び根来衆と協力して三好長慶と戦いますが、湯川直春から雑賀衆及び根来衆の有力者に対して軍事同盟の起請文が提出されており、第二次紀州征伐でも湯川氏と雑賀衆及び根来衆の間は強力な軍事同盟関係にありました。