打越氏(内越氏)は、清和天皇及び物部氏族熊野国造系和田氏を源流とし、南北朝の動乱を契機として、河内(甲斐)源氏流小笠原氏(本姓源氏)と楠木正成の弟又は従弟・楠木正家(本姓橘氏)とが姻戚関係を結んで発祥した氏族であり、戦国時代、小田原征伐、関ケ原の戦いなどを契機として出羽国由利郡で勢力を伸ばし、1系統17流(本家3流、分家14流)の系流に分かれながら日本全国へ進出して行った同祖同根の氏族です。現代に残る限られた古文書等から、その歴史的な事跡を明らかにします。

第1部第3巻 打越(内越)氏の家紋(第1段)

第1段 総論

 家紋は、鎌倉時代から武家が戦場で敵味方を識別し、武勇をアピールする目的で使用し始めた旗標のこと(即ち、現代風に言えば、登録商標のようなもの)で、他家の家紋を勝手に使用することは許されず、それが原因で争いになった例もあります。また、応仁の乱から戦国時代に入ると同族同士で敵味方に分かれて争うようになったことから家紋の種類が増え、分家や姻戚関係等を契機として本紋とは別に替紋や譲与紋など複数の家紋を併用するようになります(参25)(注33-2)。

 この点、家紋の全国分布を調べることは古文書等に記録されていない祖先の事績を探るための重要な手掛りの1つとなるものですが、近世以前の「土地(家督)の単独相続」から、近代以後の「金銭(財産)の分割相続」へと移行するに伴って土地に裏打ちされた家制度が崩壊し、家を識別するための家紋に頓着しない風潮が生まれたことで家紋が不分明になってしまう家も少なくないようです(注34)。このような状況に加えて、近年の個人情報シンドロームと揶揄される過剰な法規制も手伝って家紋の全国分布を調べることは益々困難を極めていますが、取り敢えず、現時点で調べ得る限りで打越氏(内越氏)が使用している主要な家紋(但し、近代以降の替紋も多いので使用家数が少ない家紋を除きます。)について、その全国分布を調査して次ページ以降にまとめています。

 

①全国分布

 下表の備考欄に記載している打越氏(内越氏)の住民数は、電話帳に登録されたデータを参考にしています。また、下表の主要な家紋欄に記載している打越氏(内越氏)の家紋分布(注33-1)は、都道府県別姓氏家紋大事典(参91)をベースに、フィールドワーク等から得られた情報を追加しています。高度経済成長以降は広域な人の移動が活発になり、あまり都市部の情報は参考になりませんが、地方の情報は土地の歴史の痕跡が残されている例が多いので参考になります。
 
分布地域 主要な家紋 系流 備考
北海道 丸に橘紋
丸に木瓜紋
丸に蔦紋
三つ柏紋
丸に揚羽蝶
紀州雑賀衆
清和源氏武田氏流
清和源氏小笠原氏流
全国5位(約380名)
屯田兵として北海道へ疎開した紀州藩に仕官していた打越氏の末裔も分布。
青森県 丸に三階菱紋
卍紋
丸に隅建て四ツ目結紋
清和源氏小笠原氏流 全国21位(約60人)
「うてつ」と読み、津軽藩に仕官していた打越氏の末裔が分布。
秋田県 三階菱紋
松皮菱紋
王字紋
丸に一文字三ツ星紋
菊水紋
清和源氏小笠原氏流 全国-位(約-人)
現在、秋田県に打越氏の末裔の分布なし。
岩手県 丸に蔦紋 清和源氏小笠原氏流(藤原氏秀郷流?) 全国18位(約60人)
南朝方の根城南部氏が支配していた岩手県遠野市等に分布。
茨城県 丸に三階菱紋
丸に松皮菱紋
丸に一文字三ツ星紋
丸に隅建て四ツ目結紋
丸に梅鉢紋
清和源氏小笠原氏流 全国1位(約1100人)
打越氏(内越氏)の祖・楠木正家が守備した瓜連城があった場所。
栃木県 三階菱紋
松皮菱紋
王字紋
丸に一文字三ツ星紋
清和源氏小笠原氏族 全国17位(約70人)
徳川将軍家に仕えていた打越氏の知行地とその近隣の地域に打越氏が分布。
埼玉県 三階菱紋
松皮菱紋
王字紋
丸に一文字三ツ星紋
清和源氏小笠原氏族 全国11位(約180人)
徳川将軍家及び柳沢氏に仕えていた打越氏の知行地あり。また、都心へ通うベットタウンとして打越氏が分布。
千葉県 三階菱紋
丸に一文字三ツ星紋
清和源氏小笠原氏族 全国11位(約180人)
徳川将軍家及び柳沢氏に仕えていた打越氏の知行地あり。また、都心へ通うベットタウンとして打越氏が分布。
東京都 三階菱紋
松皮菱紋
王字紋
丸に一文字三ツ星紋
清和源氏小笠原氏流 全国3位(約460人)
神奈川県 丸に一文字三ツ星紋 清和源氏小笠原氏流 全国8位(約290人)
静岡県 一文字三ツ星紋 清和源氏小笠原氏流 全国38位(約10人)
渡辺星紋(嵯峨源氏流)とする資料があるが、一文字三ツ星紋(清和源氏小笠原氏流)の誤認の可能性。
愛知県 一文字三ツ星紋 清和源氏小笠原氏流 全国20位(約60人)
渡辺星紋(嵯峨源氏流)とする資料があるが、一文字三ツ星紋(清和源氏小笠原氏流)の誤認の可能性。
岐阜県 丸に五七桐紋
丸に片喰紋
丸に右三つ巴紋
片(三)連銭紋
丸に桔梗紋
雑賀衆
美濃源氏打越氏?
全国39位(約10人)

石川県 丸に揚羽蝶
丸に蔦紋
清和源氏 全国10位(約260人)
揚羽蝶紋は平氏の家紋だが、能登畠山氏(桓武平氏流と清和源氏流の2流が婚姻関係を結んで誕生)の重臣・長氏家臣のためか? 又は由利五人衆・滝沢(由利)氏が丸に揚羽蝶紋を使用しており、その関係か?
奈良県 三階菱紋
剣花菱紋
一文字三ツ星紋
丸に左違い鷹の羽紋
清和源氏小笠原氏流 全国16位(約80人)
御家断絶後に甲斐源氏の誼から佐貫藩の柳沢氏に召し抱えられ、その後、川越藩甲府藩、大和郡山藩へと加増国替え。
和歌山県 丸に橘紋
丸に木瓜紋
丸に日の丸扇紋
丸に五本骨扇紋
丸に左違い鷹の羽紋
丸に三つ柏紋
丸に中陰蔦紋
丸に五七桐紋
紀州雑賀衆
清和源氏武田氏流
全国7位(約290人)
楠木氏和田氏と同じ丸に橘紋
佐武氏と同じ丸に日の丸扇紋(又は丸に五本骨扇紋)
雑賀氏と同じ丸に蔦紋
大阪府 一文字三ツ星紋 清和源氏小笠原氏流 全国4位(約410人)
兵庫県 丸に梅鉢紋 清和源氏小笠原氏流 全国2位(約480人)
広島県 丸に一文字三ツ星紋
丸に梅鉢紋
丸に橘紋
清和源氏小笠原氏流
紀州雑賀衆
全国14位(約100人)
福岡県 丸に三階菱紋 清和源氏小笠原氏流 全国9位(約270人)
佐賀県 丸に一文字三ツ星紋
丸に剣片喰紋
清和源氏小笠原氏族 全国6位(約340人)
熊本県 丸に一文字三ツ星紋 清和源氏小笠原氏流 全国13位(約100人)
鹿児島県 丸に三階菱紋
丸に松皮菱紋
丸に四方花菱紋
丸に橘紋
丸に左違い鷹の羽紋
清和源氏小笠原氏流
雑賀衆
全国6位(約340人)
 
②発祥地別

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出羽国由利郡内越村】
 ● 左欄一段目(本紋)
 【三階菱紋】【松皮菱紋】【王字紋】【菊水紋】
 ● 左欄二段目(替紋/星紋)
 【一文字三ツ星紋】(譲与紋又は略奪紋)【丸に一文字三ツ星紋】【丸に梅鉢紋】【丸に剣梅鉢紋】 
 ● 左欄三段目(替紋/菱紋)
 【剣花菱紋】【丸に四方花菱紋】【丸に四方剣花菱紋】【丸に四方木瓜紋
 ● 左欄四段目(替紋/他氏の家紋(譲与紋))
 【卍(まんじ)紋】(津軽家)【丸に隅立て四ツ目結紋】【丸に蔦紋】
紀伊国海部郡宇須村字打越/紀伊国牟婁郡下川下村字打越】【丸に剣片喰】
 ● 右欄一段目(本紋) 
 【割菱紋】【丸に橘紋】
 ● 右欄二段目(替紋/鷹の羽紋、星紋) 
 【丸に梅鉢紋】【丸に左違い鷹の羽紋】【上り藤に左違い鷹の羽紋】【下り藤紋】
 ● 右欄三段目(替紋/菱紋) 
 【丸に木瓜紋
 ● 右欄四段目(替紋/他氏からの譲与紋) 
 【丸に日の丸扇紋】(佐武氏)【丸に五本骨扇紋】(佐武氏)【丸に三つ柏紋】(根来氏)【丸に中陰蔦紋】(雑賀氏)【丸に揚羽蝶紋】
 
(注33-1)都道府県別に多い家紋
 都道府県別では、茨城県:一文字三ツ星紋、和歌山県:五本骨扇紋、兵庫県:梅鉢紋、石川県:蔦紋、青森県及び奈良県:三階菱紋、その他(和歌山県広島県、鹿児島県):橘紋が集中的に分布しており、それぞれの系流を考えるうえで1つの手掛りとなります。
 
(注33-2)替紋の事例

 三菱財閥の創業者である岩崎弥太郎は、河内(甲斐)源氏小笠原氏(阿波国を本拠とした三好氏)の末裔で、 三菱財閥のスリーダイヤは岩崎氏の家紋である「三階菱紋」と主家の山内氏の家紋である「三ツ柏紋」を組み合わせて作られています。

 

(注34)打越(内越)という地名の由来

 全国に打越(内越)という地名が散見されますが、これは峠や川、国境などを「打ち越え」て行かなければならないならない場所の地名として使用されている例(古文書等でも「〇〇を打越し」と動詞として使用されている例)が多く(参92)、打越氏(内越氏)の由来となった出羽国由利郡内越村も芋川を「打ち越え」た内(陸)側という意味の地名ではないかと推測されます。また、全国には天神様(菅原道真)を祀る神社(東京都中野区:打越天神、石川県加賀市:打越菅原神社、熊本県阿蘇市:打越菅原神社、熊本県熊本市:打越菅原神社)、打越八幡社(東京都八王子市)や打越熊野神社(神奈川県厚木市)等が点在していますが、打越(内越)という地名に因んで付けられた神社名は、打越氏(内越氏)との関係を示すものではありません。さらに、紀伊国海部郡宇須村字打越の地名の由来については「昔は波の打越たるを云う」という伝承があるようですが(参62)、古代~中世の頃の古地図を見ると古紀ノ川(後に雑賀川→和歌川)の内陸河岸に位置しており(紀伊湊と吹上浜(日下雅義)/参93)、河川津波でもない限り波が打ち越えるような場所ではないことから真偽定かではありません。なお、「打越(内越)」という地名又は名字は各地方の方言も手伝って「うてつ」「うていち」「うてえつ」「うちごし」「うつこし」「おっこし」など読み方は様々ですが(例えば、菊池十八外城の打越城(城名)は「うちこし」と読むのに対し、熊本城近くの熊本市北区清水町打越(地名)は「うちごし」と濁って読みます。また、滋賀県甲賀市甲賀町隠岐字打越にある打越城(城名)は「うちごし」と濁って読みます。同様の例として秋田県由利本荘市下直根字打越(地名)は「うちこし」と読むのに対し、秋田県湯沢市松岡字打越(地名)も「うちごし」と濁って読むものなどがあります。)、一般に、①東北北部は「うてつ」「うていち」「うてえつ」(北陸地方では越前、越中、越後に見られるとおり「越」を「えつ」と音読みする傾向があり、それが訛ったもの(えつ→てつ、いち)ではないかと推測されます。)、②関東北部は「おっこし」、③九州南部は「うちごし」、④その他の地域は「うちこし」と訓読みする傾向が顕著ではないかと思われます(注13-1、13-2)。江戸時代、打越光輪が「うちこし」という訓読みに統一したことを受けて、現在では「うちこし」という読み方が最も多くなっています(参94、95)。因みに、常陸江戸氏に仕官していた打越(刑部少輔)幹嗣の拝領屋敷(上屋敷)があった那珂湊には茨城県那珂湊町打越前という旧住所があり「うちこし」と訓読みします。

 

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